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感情論的、日記的

極端に不定期更新です。

一夜明けて、SMAP×SMAP

SMAPが一番最初に知ったアイドルだった。

何をきっかけに彼らを知ることになったのか、いまではもう思い出せない。

けれども、母親が『ロングバケーション』を観たあと、いつも『SMAP×SMAP』を観ていて、僕もそれにつられて観ていた。

 

SMAPは1988年に結成した。僕は1988年に生まれた。いわば同級生だ。

よく知られた話だが、SMAPはジャニーズの他グループとは異なり、結成・デビューの直後から順風満帆だったわけではない。それはデビュー曲がジャニーズとしては異例のオリコン1位を獲り損ねたからとか、音楽番組低迷期だったからとかではない。

 

結成した1988年は昭和最後の年で、翌年の1989年には平成に改元され、ベルリンの壁が崩壊した。デビューの年である1991年にはソ連が解体され、冷戦構造に終焉が訪れた。バブルが崩壊したのも、この頃であった。

初のオリコン1位を獲得した翌年1995年にはWindows95が発売され、世間にインターネットが普及しはじめる。

デビュー5周年の記念すべき年であった1996年には『スマスマ』が放送されるものの、その直後に森くんが脱退する。

夜空ノムコウ』で初ミリオンを達成し、名実ともに国民的アイドルグループの座を昇りはじめた1年後には、DoCoMoが「i-mode」をリリースし、ネット社会がどんどん進展していく。

『らいおんハート』で2回目のミリオンを達成した世紀末の2000年、キムタクが結婚を発表した。

2001年のデビュー20周年では、吾郎ちゃんが逮捕され、未曽有の9・11テロが起こり、グローバル社会の不安定性が露呈する。『世界に一つだけの花』でダブルミリオンを達成した2003年にはイラク戦争が勃発し、「グローバル」のしわ寄せが次々に起こった。

 

デビュー15周年の2006年前後は「国民的アイドル」という枠から抜け出し、「超アイドル」として「国宝級」の活躍をしていた。まだ嵐が「国民的」になるまでには至っておらず、AKBの誕生前だったし、ネットは当たり前になっていたけどSNSYouTubeはそれほど日本では活用されていなかったという事情もあったと思う。

それでも、2009年にはつよぽんが逮捕され、SMAPは2回目の4人体制を迎える不名誉をあずかってしまう。

 

2011年。デビュー20周年にはあの東日本大震災が起こり、スマスマで毎回、義援金への寄付を呼び掛けることになる。

2014年、5人で司会を務めた「FNS27時間テレビ」で行なったノンストップライブでは、40歳を過ぎた中居がステージ上から途中離脱し、「国宝級アイドル」で居続けることの身体的な限界が露呈してしまった。

ちなみに、このときの27時間テレビでは、SMAPがライブ「Mr.S saikou de saikou no CONCERT TOUR」を開催することが発表され(SMAP本人も番組内で知る、という体裁だった)、ありがたいことに僕はアリーナ席で参戦するという僥倖に恵まれる。当時このコンサートがSMAP最後のものになるとは思いもしなかった。

そして、今年2016年を迎えた早々、あの一連の〈騒動〉である。

 

SMAPの25年あるいは28年を振り返ると、「国宝級」でありながら、節目節目でグループ自体の危機や変化、もしくは社会的な危機や変化が起きていたことがわかる。それらをひとつひとつ乗り越えたからこそ「国宝級」になったとも言えるけれども、やっぱり常に「危機」と隣り合わせだったように思う。

このことは、太田省一が先日刊行した新書で書いていたように、「平成」という時代を象徴するものだと言えるかもしれない。

ただそんな社会的な位置づけとは関係なく、やはりスマスマが終了し、SMAPが解散してしまうのは、リアリティのない出来事としか言いようがない。

 

冒頭で言ったように、最初に知ったアイドルがSMAPで、彼らと同級生のようなもので、気づいたらスマスマを欠かさず観るのが日常になっていた僕は、当然のようにSMAPのファンになるし、それも結構なファンだと自負している。

そこで、ちょっとだけSMAPの個人的な思い出を振り返りたい。

 

自分のお金で初めて買ったCDは『らいおんハート』だった。

小学6年生だった僕は、教室に設置されているCDプレーヤーを使って、クラスメイトに自慢するかのように『らいおんハート』を流していた。女子が流していたプッチモニ。の『ちょこっとLOVE』を途中で止めて、SMAPに変えたので、めちゃくちゃ怒られるという経験もした。そのくらい、自分で買ったCDを流せることが嬉しかったし、SMAPの曲を聞きたかった。

そして、しつこく僕が教室でSMAPを流しているとき、クラスで小さな一悶着があった。「らいおんハート」の方が好きか、「オレンジ」の方が好きか、という揉め事である。

いまではSMAP随一の名曲として世間一般でも知名度の高い「オレンジ」だけれども、それが「らいおんハート」のB面(この表現は古いか。いまでいうカップリング)だったという事実は世間的にはどれほど知られているのかわからないけれども、とにかく、小学6年の僕のクラスでは、A面とB面のどちらを指示するかということで意見が二分されていた。

僕は「オレンジ派」だった。もちろん当時の僕は、あの歌の詩で描かれている大人の中に残る少年少女の気持ちが、どれほど切ないものだったかなんてことは、わかっていない。それでも「バス」「夕日」「オレンジのつぶ」という言葉がなぜか心に刺さって、「らいおんハート」が聞きたくてCDを買ったくせに、一発で「らいおんハート」よりも好きになっていた。

そんな「オレンジ」の良さは多くの人も気づいたみたいで、のちにカップリング曲だけを集めたベスト盤『psmS』(ウラスマ)が発売されることになったとき、僕は人知れず「したり顔」だったのである。

 

僕がSMAPファンであることを自覚すると同時に、どんどんSMAPにのめり込んでいったのは、この〈らいおんハート・オレンジ騒動〉があったからである。

 

そんな僕にとって、やっぱりSMAPの解散報道は衝撃的であった。

修士論文を提出した直後ということもあり、あのときの僕の感情はめちゃくちゃになった。大好きだった安倍なつみモーニング娘。を卒業するという発表を受けたときも驚天動地の衝撃だったけれど、SMAPに関してはそれ以上だった。

それだけ「当たり前のSMAP」という存在になっていた。それは〈騒動〉の大きさを考えると、ファンも、そうじゃない人も同じだったはず。だって、一国の首相と官房長官までコメントすることになったんだから。

 

解散報道の直後、SMAP存続を願う電子署名活動があったことを知って、僕はすぐに参加した(のちに、署名活動の方針をめぐって、代表者と揉め、活動から離れたけれど)。

いまでも「解散しないで」とか「やはり解散すべきだ」とか、いろいろブログで言ってる人や、ワイドショーで話す三流以下の芸能人が大勢いる。「メリーさんが悪い」とか「悪玉はキムタク(と工藤静香)」みたいな陰謀説めいたことを煽るゲス週刊誌も相変わらず残っている。

〈騒動〉があったからという理由で、久しぶりに、あるいはほぼ初めてスマスマを観た人たちが「キムタクと慎吾の距離がおかしい」とか言って、「SMAP不仲説」に正当性を与えようとしだす輩もいる。

別に何を言ってもいいし、どう感じようが興味ないけど、SMAPファンであることを自負している僕が、そいつらに対して個人的な感想を述べさせてもらえるのだとすれば、「おまえらはSMAPの何を知ってるんだ?」と言いたい。

 

往年からのSMAPファンの方々であれば共感してもらえると思うけど、「SMAP不仲説」に関しては、いまに始まったことではない。いまに始まったわけではないくせに、週刊誌が「解散は不仲が原因」みたいな主旨の記事を書いて、それをさも真実のように扇動しているのは許せない。

SMAPはデビュー当時からダンスはバラバラだったし、メンバー全員がボス猿タイプのプライド高い連中なんだから。というか、あの程度の距離感、会話内容に違和感を抱いてしまうのは、単に〈騒動〉が報じられたことで、そういう見方でSMAPを観察してしまうようにメディアに侵されてるだけでしょ。自分と友達、自分と同僚、自分と家族との関係を振り返ってみろよ。SMAPがテレビで見せる振る舞いと同じことしてるだろ。それを「不仲」って言うなんて、ちゃんちゃらおかしい。どんだけおまえたち他人と仲良くしてるんだよ。

SMAPにかぎらず、たとえば「ダウンタウン」や「とんねるず」も不仲説がささやかれるけど、その程度の「不仲」は一般人にとっても日常的。芸能人は「仲良し」なんて幻想。むしろ、そういう「幻想」をビジネスライクに見せたりせずに、堂々と「一般人の距離」を見せていたのが、SMAPのアイドルとしては異例の凄さだと思う。

 

そして、僕のSMAPファンとしての立場は、解散に反対するわけでもなく、かといって諸手を挙げて受け入れるわけでもなく、ただただ静観すること。

『世界の一つだけの花』を何枚も購買することもしない(あの購買行動を「花摘み」というハッシュタグで呼びかけるのはどうかと思ったけど。摘んでどうするんだよ。せめて「花植え」だろ。でも、購買されたみなさん、おつかれさまでした)。

デビュー日の9月9日に「よみうりランド」に行くこともしない(報道でよみうりランドSMAPの曲を有線で流していたという話を聞いたときは、さすがに感動したけど)。

東京新聞に広告を載せたりもしない(ああいうシステムで広告を載せられることは初めて知ったからびっくりだった)。

もちろん、メリーさんの自宅を特定して、そこに糞を投げ込む、みたいな都市伝説めいたこともしない(そんなことしたやつホントにいたのかね。いたとしたら、いますぐSMAPに謝れ)。

とにかく、僕は、SMAPが最後に向けて何をして、何をしないのかを、ただただ静かに、わめかず、騒がず、まるで「SMAPがいるのが当たり前」という状態で居続けることにしている。ぶっちゃけ、そういうスタンスをとることしかできない。何をしたらいいのかわからないから。CDを買おうとした人も、聖地に赴こうとした人も、署名やメッセージを届けようとした人も、何したらいいかわからないからこそ、思いついたそういうことをしたんだと思う。でも、僕は、本当に何をしたらいいのかわからなかった。CD買おうとか、よみラン行こうとか、新聞に広告出そうとか、思いつきもしなかった。

だから、「あえて」何もしない、という立場をとるのがSMAPファンとしての自分にとって正直だし、いままでしてきたことと変わらないから良いのかな、と思う。〈熱心〉なファンからすれば、僕のこのスタンスは批判されたり否定されたりするかもだけど、僕は自分で「熱心なSMAPファン」だと思っているし、少なからず、僕の周りにいる人間からもそう思ってもらえている。なので、他のファンが何をしていようが、どう思われようが、「何もしない熱心なSMAPファン」という立場で年末まで、そしてこれからも居続けることしかできない(もちろん、その「熱心さ」を語ることもできるけど、恥ずかしいのでここではしない。というか、そういうアピールはしたくない。僕の言動を見て、僕の知り合いが「こいつホントSMAP好きだな」と思ってくれるだけで十分)。

 

ただ、もうSMAP5人のパフォーマンスが観れない、というのは悲しいを通り越して、絶望的な気分になる。その意味では、シングル全曲を集めたPV集が発売されるのは嬉しいけれども、それでもやっぱり、その都度その都度のSMAPが僕たちを魅せてくれるパフォーマンスを観られなくなるのは、つらい。

SMAPは憧れだったし、青春の塊だったし、目標だった。

 

まだ12月31日まで日があるけど、昨日スマスマが最終回を迎えて、実質的にSMAP最後のパフォーマンスだったので、ひとまず、僕の「SMAP愛」をこのような形で残しておきたい。

 

2016年12月27日

Instagramブームに物申したい

※ブログ名を再度変更しました。

どのくらいの方々に見ていただいているのかわかりませんが、お久しぶりです。
相変わらずの不定期更新ですが、改めてよろしくお願いします。

さてさて。
昨年から急激にブーム化した、写真投稿SNSInstagram
YouTuberならぬInstagramerと呼ばれるほどに人気のユーザーたちが、テレビに出たり、写真集出したり、イベントに絡んだりと、ブロガーブーム以来、ネット界隈では恒例である金儲け至上主義的商業ビジネスの餌食になっている現状です。

なぜInstagramブームが?

日本でインスタのブームがはじまったのは、先述のとおり昨年からなわけですが、インスタ自体は2010年にリリースされており、リリース当初からそれなりの話題を集めていました。
僕自身インスタの存在を知ったのは、2011年。
はじめてのスマホ(シャープ製Android端末)を購入したあとでした。

スマホのカメラで、手軽にトイカメラ風で、ちょっとアートっぽいオシャレな写真が撮れるということにものすごく惹かれたのを覚えています。

ただし、当時のインスタはAndroidに対応しておらず、仕方なくiPod touchにインスタをダウンロードさせ、iPodのカメラで撮影し、帰宅してWi-Fiに繋げてからアップロードということをしていました。

その煩雑さが面倒で、もっとインスタを使いたくて、2年契約も端末代金も残っているにもかかわらず、iPhoneに機種変するのを本気で悩むほどでした(結局、機種変はしなかったけれども)。

そんな僕からしたら、去年いきなり日本でインスタが流行りはじめたとき「いまさら!?」と思ったものです。


きっかけがあった?

リリースから5年が経ち、爆発的とは言わずとも相当数のユーザーがすでにいたにもかかわらず、なぜ去年インスタブームが来たのか。

素人でも思いつく発想としては、有名芸能人がインスタを使いはじめたから。
実際、いまのブームが発生したのは、そういうことなんでしょうけど、芸能人がインスタを使い出したのは、なにも去年からではありません。
リリース当初からデジタル好きの芸能人は、すでにインスタを使ってました(ハリウッド俳優が多かったけど)。

にもかかわらず、なんで去年突然とインスタが流行りはじめたのか。芸能人までも、どんどんインスタをはじめ、芸能人ぶってるけど基本的にはド素人である「モデル界隈」の方々まで、広くインスタが普及する事態。
けれども、やっぱり「流行ったきっかけ」が見えてこない。
それが不思議でなりません。

まあ、僕が知らないだけで、なにかきっかけがあるんでしょうけど、グノシーやスマートニュース、ヤフーニュースアプリ、さらにはRSSFeedlyで毎日ネット情報を無作為かつ無駄に眺めている身としては、そういう「きっかけ」が無かったという実感なのです。
(一方で、インスタが流行ってるという記事は相当氾濫してました。ある意味、流行ってると言われ続けることで、本当に流行りはじめたのかもしれませんが)

玉石混交な写真群

そんなこんなでブームとなってしまったInstagramですが、ユーザー数が増えれば、投稿される写真の数も増えるわけで、僕がフォローしているアカウントたちも、そりゃもう、すごい写真、おもしろい写真、どうでもいい写真を次から次へとアップしているのです。
もちろん僕も、なかなか上手く撮れた写真から、たいしておもしろくないだろうと自覚している写真をアップしているわけですが。

さて、諸々の写真を眺めていくなかで、どうしても違和感を感じることがあるのです。

それは、
「これってスマホで撮ってないよね?」
という写真が多いことです。

僕の中で、インスタの魅力というのは、スマホで簡単にアート調の写真を撮れること、その写真をTwitterFacebookなど他のSNSにスムーズに共有できること、この2点。

けど、近頃のインスタの写真、特に企業の公式アカウントや自称・写真家等々がアップしている写真を見ていると、「それスマホじゃないでしょ!?」というものを多く散見します。

たぶん、デジタル一眼とかで撮ったものをパソコンからインスタに投稿しているのでしょう。
つまり、インスタのフィルターや編集機能を使わず、フォトショ等々のインスタ外部の加工システムに頼っているということです。

言い換えれば、写真の「見せ場」としてだけインスタのプラットフォームを使っているだけで、インスタの機能はどうでも良いのです。
個人的にそれは、Instagramの冒涜……とまでは言わないまでも、Instagramの意図的不活用という気がします。

もっと直截的に表現しちゃえば、
インスタの加工機能を使わないなら、FlickrとかTumblrにでも投稿すりゃ良いのに。

結局のところ

ブームになる前から、パソコンで加工した写真を投稿する「輩」はいたわけだけども、ブームになることで、そういう輩が増える、というかそういう輩が持ち上げられる。
そして、そういう輩がInstagramerとして「不純な形」で注目されてしまう。

なんとなく、インスタが腐ってしまう気がするんだよな〜

【疑問】ジャニーズはネット配信をやらないのか?

ネット配信って便利ですよね。

どうも。Tazzoです。

 

iTunes電子書籍YouTubeニコニコ動画、Huluなどコンテンツをインターネットからダウンロードする、あるいは視聴するという楽しみ方ができるようになって、ずいぶんと経ちました。

僕自身も、それらのサービスを多用させてもらってます。

とくにHuluはすばらしい。いまとなってはdビデオなどの類似サービスが増えて、各サービスが扱っている作品数の差異も軽減したので、差別化が難しくなっているようですが、それだけコンテンツのネット配信が一般化してきた証拠でしょう。

 

テレビ局も従来のように会員登録しなければ過去のコンテンツを観れない、という状況ではなく、放送終了から次回の放送までの1週間、会員登録無しで無料で視聴できるというサービスを始めています。

いわゆる「見逃し視聴」というやつですね。

 

見逃し視聴の魅力

改めて説明する必要はないと思いますが、「見逃し視聴」はすぐれものです。

急な事情で普段観ているドラマが観れなくなった。しかも録画予約していない。そんなシチュエーションになっても、見逃し視聴ができる作品であれば、ネット上で無料で視聴可能。

これほど有意義なサービスは、現段階での映像コンテンツ配信においては無いでしょう。

 

配信オリジナル番組

一方で、通常の、つまり会員登録が必要な配信サービスも、オリジナル作品を制作するなどしており、テレビ局が作るのとは違ったドラマや番組を楽しめるようになってきました。

Hulu、オリジナルのアートバラエティ番組「木梨憲武 Inspiration Only」配信開始 - ITmedia LifeStyle

Hulu、オリジナルドラマ配信へ--唐沢寿明さん主演「THE LAST COP」 - CNET Japan

WOWOWなど有料テレビ局がオリジナルコンテンツを制作して放送するというのは、数年前から行なわれてきており、またWOWOWとTBSが共同制作した「ダブルフェイス」や「MOZU」のように、前篇(あるいはシーズン1)を民放で流し、後篇(あるいはシーズン2)を有料テレビ局が流すというモデルも出てきました。

上記に挙げたHuluの例も、ドラマのほうは7月からのクールで日テレでも放送されることが決まっています(日本におけるHuluは日テレ傘下になっているので当然と言えば当然ですが)。

 

このように、ネット配信サービスを活用した「見逃し視聴」やオリジナルコンテンツの製作というものが増加しているのを知ると、やっとテレビ局もちゃんとしたネット活用をしはじめたのだな、と嬉しくなります。

 

ジャニーズ問題

とはいえ、コンテンツのジャンルに関わらず(映像でも音楽でも)ネット配信において気になることもあるのです。

それが「ジャニーズ問題」。

周知のとおり、ジャニーズ事務所は自社タレントが関わっているコンテンツのネット配信に消極的です。

レコチョクなど、ガラケー時代から続く着メロサービスに対しては楽曲のネット配信を認めていますが、iTunesでは一切ジャニーズ楽曲は配信されていません。

統計を調べたことはありませんが、恐らく音楽プレーヤーとして最も利用されているのはiOS搭載のデバイスのはずです。それなのにiTunesでジャニーズ楽曲が配信されていないというのは、既得権益の確保という面もあるのでしょうが、やはりジャニーズがネットを嫌っていることの表れでしょう。

ソニーミュージックの楽曲が長い間iTunesで配信されなかったのも、既得権益から抜け出せなかったからだと思います)

 

ジャニーズのネット嫌い

ジャニーズのファンでなくても気づくことですが、ジャニーズは極端にタレントのネットでの露出を嫌がります。

たとえば、ジャニーズタレントが主演のドラマや映画のニュース記事がネットで公開されても、記事の写真として使われているのはジャニーズではない、ということが多々あります。ジャニーズが主演なのに、その主演が写真に写っていないというのは記事としてどうなのか?という疑問もありますが、それが事実なのです。

また、ジャニーズタレントが出演しているドラマ、映画の公式ホームページにアクセスしても、他の出演者は顔写真が使われているのに、ジャニーズタレントは写真が掲載されていない、ということもあります。

有名な話は、木村拓哉が主演を務めたフジテレビのドラマ『エンジン』。ホームページにアクセスし、キムタクが演じている役のところにはF1カーの写真が使われていた、という話です(『エンジン』はキムタク演じる主人公がカーレーサーを夢見るという物語でした)。

最近では、さすがにドラマや映画の公式ホームページであれば、タレントの写真を使っても良いようにジャニーズが方向転換したようですが、先に挙げたネット記事のように、公式ではないものについては、変わらずネットでの露出を禁じているようです。

 

なぜこのような方針なのかと言えば、ジャニーズ事務所が自社タレントの肖像権管理を厳格に行なっているから、という一言に尽きてしまいます。

たしかに、ネット上で公開される画像はコピーが容易なので、そのコピーを基に悪意のある一般人がブロマイド写真を作り、それを公式と偽って販売できてしまう危険性はあります。

許可なくジャニーズタレントを使ったグッズを販売したとして逮捕される人があとを絶たないのも、こういう事情によるものでしょう。

ジャニーズとしては、自社の権利はちゃんと管理しておきたい。その気持ちは理解できます。

 

正規のルートでもダメなのか?

しかしながら、テレビですでに放送されたもの、あるいはすでに公開終了した映画を“公式”にネット配信する場合ですらジャニーズが認めていないのはなぜなのでしょうか?

やはり根底には「ネットで公開されたものはコピーが容易」という心配があるからだと推測しますが、とはいえ、ジャニーズが出演しているコンテンツは需要があります。

あれだけジャニーズファンが多いのだから、ジャニーズ出演コンテンツがネット配信されれば、確実にマネタイズが可能なはずです。

配信サービス側も、その旨みは充分理解しているはずで、ジャニーズ側に交渉しているはずなのです。

にもかかわらず、ジャニーズ出演作品がネット配信されていない現状を鑑みると、ジャニーズ側が頑なにネット配信に反対していることが伺えます。

そりゃあ、ネット配信がされれば、違法な手段でそれをダウンロードし、違法に販売する輩は出てくるでしょう。しかしながら、違法ダウンロードによる損害と、正規のネット配信から得られる収益とを天秤にかけたとき、本当に前者が上回るのでしょうか。

音楽コンテンツの世界では、ネット配信がCDの売上に負の影響を与えたという因果関係は認められなかった、というデータが存在しています。このことから、ネット配信が既存のビジネスモデルのデメリットになるという考えに有効性はありません。

 

であるならば、ネット配信を行なわないジャニーズは「前時代的」と言うほかない気すらしてきます。

 

早くネットで観たいジャニーズ

僕自身、ジャニーズタレントが大好きです。ジャニーズに関わらず「アイドル」という存在が好きなのですが、べつにモー娘。やAKBのように女性アイドルだけが好きなわけではなりません。一番好きなアイドルはSMAPだし、嵐やTOKIO近藤真彦だってある程度語れることができます。

だからこそ、ぜひともジャニーズには自社タレントが出演している作品のネット配信、ジャニーズ楽曲のiTunes配信を認めてほしい。

ファン心理からの意見だけではありません。先述のようにジャニーズ作品はとてつもない需要があります。現在でこそジャニーズ作品の優位性は低下してしまいましたが、ジャニーズが主演を演じている作品というのは、つねに話題となり、反響が大きいものでした。必然的に制作費も多く確保され、他の役者さんも実力のある方々が集まり、コンテンツとしても良質でした。

そのようなコンテンツが放送後あるいは公開修了後になると、DVDを購入するかレンタルするかしないと楽しめないというのは、あまりにもったいない。

 

配信サービス側としても、ジャニーズ作品の配信が可能となれば、いままで会員ではなかった大勢のジャニーズファンが会員となり、収益の向上も果たせます。

収益が増えれば、そのぶん新たなサービスに回せる予算も増える。極論ですが、各サービスがそのような状況になれば、コンテンツ産業全体の発展にもつながるはずなのです。

言ってしまえば、ジャニーズの動向次第でコンテンツビジネスの趨勢が変わってくるのです。

 

というわけで、僕は映像にせよ音楽にせよジャニーズ作品のネット配信を望んでいます。

とりわけ、木村拓哉主演『華麗なる一族』、長瀬智也主演『池袋ウエストゲートパーク』『ハンドク』、草彅剛主演『フードファイト』、長瀬智也岡田准一主演『タイガー&ドラゴン』あたりがHuluで観れるようになったら泣いて喜びます。

脱サラして大学院に行く男の話 vol.3

前回(脱サラして大学院に行く男の話 vol.2 - 私を覗くとき、私もまた貴方を覗いているのだ)、そして前々回(脱サラして大学院に行く男の話 vol.1 - 私を覗くとき、私もまた貴方を覗いているのだ)からかなり月日が経ってしまいました。 とても申し訳なく思っております。

さて、今回のエントリーが大学院入試に関する内容の最後となります。 ものすごく時間が空いてしまったことが心苦しいですが、誰かに対して何かしらの力となれば、と思い、記述させていただきます。

明治大学大学院情報コミュニケーション研究科

1次試験と2次試験があります。 1次は筆記、2次は面接。前々回で説明した同学の国際日本学研究科と同じく、筆記試験の結果は当日判明します。 また夏(9月中旬)のⅠ期試験と、冬(2月中旬)のⅡ期試験があります。こちらも国際日本学研究科と同様。 僕はⅠ期試験で受験しました。

1次試験(英語)

筆記の1次試験は、英語と小論文です。 英語は4つ出題される英文から2つ選んで、和訳するというもの。 英語の試験時間は90分です。和訳する英文の量としては、A4用紙1枚分といったところでしょうか。 出題される英文の内容は、すべてバラバラなジャンルからですが、人間・自然・文化・社会に関する話題が記載されています。

この英語の試験、僕が受験したとき(2013年9月:2014年度入試)は辞書の持ち込みが不可でした。 ところが、その翌年(2015年度入試)からは紙の辞書であれば持ち込みが許されるようになったようです。 とはいっても、知らない単語が出てくるたびに辞書を引いていては時間内に解答できないので、やはり英単語・英文法などの知識はあらかじめ必要です。

出題される英文自体が、国外の雑誌論文などから転載されているので、内容も専門的なものです。単語的には難しくなくても、何の話題についての文章なのかがわからないと和訳する際に手間取ると思います。 僕自身、どうしても上手く訳せない箇所は「(中略)」と解答用紙に表記して、訳せるところだけ訳す、というやり方をしていました。ものによっては中略ばかりで6~7割程度しか訳していないのもありましたがw

僕の場合、東大の受験が終わったあとに明大だったので、東大対策が自然と明大対策になっていました。 ですので、明大向けに特別なことをやっていたわけではないのですが、ひとつだけ言えることは(明大だけに当てはまることではないですが)、とにかく過去問を解くことです。

明大は大学院事務室に行けば過去2年分の過去問は販売してくれるので、それを解いてください。先ほど述べたように、国外の雑誌論文・学術論文の文章が問題として出されるので、まず英語論文がどういう風に書かれているのか、どういう風に読めば良いのかを早めに身につけておく必要があります。

東大対策をしていたとは言え、東大の英語の試験はTOEFLだったので、英語論文を読むこと、しかもそれを和訳することについて、僕は一切の対策をしていませんでした。 そのため、東大の入試が終わったあと、明大の英語の問題を初めて解いたときは、もう何が何だか。

そうならないためにも、明大の受験を考えている方は、早めに過去問を入手して、できるだけ英語論文に慣れるようにするのが得策だと思います。

1次試験(小論文)

小論文も試験時間は90分。4つ出題されているものの中から2つ選んで、問に対する解答を800字程度で記述する、というもの。 こちらも英語と同様、人間・自然・文化・社会に関する話題が出てきます。 正直な話、90分で800字を2題解けばいいので、英語より全然楽です。ちゃんと知識と自分の考えさえもっていれば60分で終わると思います。

問われる内容自体も奇抜なものではなく、わりと一般的な問いなので、特別な対策は必要ないでしょう。過去問2年分を解くので充分なはずです。

ちなみに、過去問を見ているとすぐ気付くと思いますが「インターネット」に関する問題と、「家族(あるいは結婚・子育て)」に関する問題が毎年出題されています。 これらについての本には目を通したほうが良いでしょう。

明大の1次試験については、こちらも参照してください。 筆記試験出題形式 | 明治大学

2次試験(面接)

無事、1次試験を通過したので、2日後(だったと思います)に2次試験、いわゆる面接試験を受けるはこびとなりました。 面接時間は20分(だったような)です。 大学院入試の面接については前回前々回で述べているので、今回も詳しくは述べませんが、やはり出願時に提出した研究計画書について質問されます。

東大向けの研究計画書を作っており、それを今回の明大にも提出していたので、一番最初に明大を受けたときのようにいじめられることはありませんでした。

面接官は3人。希望した指導教官1名プラス他2名という形です。 僕の場合、指導教官が話すというよりは、他2名の先生方がよく質問してきました。しかも、雑談に近い雰囲気だったので、東大のように一貫して学術的なこと、研究の進め方については質問される、ということが少なく、肩透かしを食らった気分でした(もちろん面接する先生方の人柄もあると思いますが)。

面接対策でできることは、研究計画書をちゃんと頭に入れて、自分の言葉で説明できて、しかも質問に応じられる程度には知識を蓄えておくということに尽きます。 質問に応じられる程度の知識をどうやって得るか?という課題はありますが、これについてはもう日々知識量を増やしていくことしかないでしょう。 1次試験が終わったから2次試験の対策をするなんて時間的余裕は明大の場合ないので、1次試験対策がそのまま2次試験対策になっていると考えるべきです。

おわりに

そんなわけで、おかげさまで2次試験にも合格し、僕は現在、明治大学大学院に所属しています。

このブログを書き始めたのは大学院入試前で、入試対策のエントリーを書いたのは大学院入学前だったのに、今回のエントリーは入学から1年も経過している、というのは我ながらいかがなものか、と恥ずかしいですが、なんとかすべてのエントリーを書き切ることができてよかったです。

どこまでの方々がこのブログを読んでくださっているのかはわかりませんが、僕が記載してきた3つのエントリーが、これから大学院受験をする人、大学院受験を考えている人のお役に立てる機会となれば幸いです。

さて、最後に情報コミュニケーション研究科の対策で利用した本の紹介だけしておきます。

Amazon.co.jp: コンテンツビジネス・デジタルシフト―映像の新しい消費形態: まつもと あつし: 本

Amazon.co.jp: 「情報社会」とは何か? 〈メディア〉論への前哨: 大黒岳彦: 本

Amazon.co.jp: アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか: 濱野 智史: 本

【提言】コンテンツのアーカイブ化に対して

だいぶご無沙汰しております。Tazzoです。

気づいたら最後に更新してから1年以上が経過しておりました。

久しぶりの更新に際して、ブログ名も「Tazzo's Diary」から変更いたしました。
そうです。かの偉人ニーチェからあやかったブログ名にしました。
 
さて、最後の更新から現在までの状況を簡単にご説明しておこうと思います。
 
4月に大学院へ入学して以来、文献を読みあさりながら修士論文執筆に向けての準備をしているという日々でございます。
コンテンツ流通についての研究テーマで当初はいましたが、現在はインターネット広告が社会に与える影響についてというテーマでやっております。
根本的な部分は変わっていない、と自分の中では思っておりますが、果たしてどうでしょうか。
 
とはいえ、ネット広告を研究テーマに据えたがゆえに、いろいろと思いつくことも増えてきました。
今後もこのブログの主旨である「覚書」として、その「想い」をここに残しておこうと思います。(更新の頻度はどうなるかわかりませんがw)
 
今回は「コンテンツのアーカイブ化」について徒然なるままに綴っていきます。
 

コンテンツとは

「コンテンツ」って言葉は、いろいろな定義があるんですよね。

「中身」というのが英語contentの直訳ですが、一般的には「メディアの中身」、つまり文字とか音、映像を指します。

一方で、ハードウェアに対するソフトウェア、ソフトウェアの中身のうち「プログラム」ではなく「データ」をコンテンツという場合もあるようです。

コンテンツについては、コンテンツ - Wikipediaをご参照ください。

 

ここでは「出版、映像、音楽、ゲーム作品」の総称としてコンテンツという言葉を使っていきます。

 

アーカイブ

「アーカイブ」というのも定義の多い言葉です。

記録を保存する、というのがアーカイブの役割ですが、図書館学としてのアーカイブ、コンピュータ用語としてのアーカイブなどなど、いろんな分野でアーカイブという言葉が使われています。

総じて言えるのは「保管庫」ということなのでしょうが、保管庫であれば、図書館も博物館も公文書館も宝物館もすべてアーカイブですし、データベースだってアーカイブです。

特に「コンテンツのアーカイブ」ということを考える場合、コンテンツの定義にもよりますが、今回の定義(出版、映像、音楽、ゲーム作品の総称)で言えば、図書館が典型的なアーカイブとなります。

また「コンテンツのデジタルアーカイブ」ということになれば、コンテンツ情報を蓄積しているデータベースがそれに該当するでしょう。

 

デジタルアーカイブ 

実はこの「デジタルアーカイブ」というのは、個人的に曲者だと思っています。

一般的には国立国会図書館近代デジタルライブラリーが典型的なデジタルアーカイブのはすです。

基本的に出版物がメインですが、コンテンツの情報を公開し、コンテンツ自体(この場合は出版作品の本文)にアクセスできるものです。

図書館自体がアーカイブなので、図書館資料を電子化したものは必然的にデジタルアーカイブとなる、というのは想像しやすいと思います。

 

では、電子書籍ストアはどうなのか?

実店舗の書店や本屋さんがアーカイブとみなされないのと同様、書店の電子版である電子書籍ストアもデジタルアーカイブとは言えない、というのが大方の見方でしょう。

「書店」「本屋」というのはリアルでもヴァーチャルでも、あくまで小売店であり、保管ではなく流通を目的としているからです。

 

あるいは、先日公開された文化庁メディア芸術データベースはどうでしょうか?

網羅される範囲はそれぞれで異なりますが、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートの作品名や公開日、製作者などの情報を含む、かなり大規模なデータベースです。

まさにコンテンツのデータベースと言えます。

であるならば、これはデジタルアーカイブと呼べるのか?

残念ながら、そうは言えなさそうです。

というのも、このデータベースは情報を一覧で表示しているだけであって、コンテンツ自体にアクセスできないからです。

 

アーカイブの条件

ここまで見たところで、「アーカイブ」と言われるための条件について考えいきます。

さきほど図書館、書店、データベースを例に挙げた上で、図書館はアーカイブだけど他は違うとしました。

3者の違いはなにかというと、コンテンツ自体にアクセスできるかどうか、ということになります。

 

「実店舗の書店であれば、その場でコンテンツの中身を読めるじゃないか!」

電子書籍ストアだって、試し読みが可能だ!」

…という声もあるかと思います。

でも、それって「買うかどうか」を決めるための行為ですよね?

たしかに、周囲の視線を気にしないでいられる強靭な精神を持った方であれば、立ち読みで1冊分読むことはできるかもしれません。

けれども、繰り返しになりますが、リアルだろうとヴァーチャルだろうと書店は小売店に過ぎず、購買してもらうため、購買のきっかけとなるために「立ち読み」や「試し読み」を許可しているのであって、別にコンテンツへのアクセスを確保することが書店の目的ではありません。

 

データベースの場合も同様です。

国会図書館文化庁の例を取り上げましたが、前者はデジタルアーカイブで、後者は違うとしたのも、やはりコンテンツそれ自体へのアクセスが可能かどうか、というのが両者の差異になります。

国会図書館近代デジタルライブラリーは「ライブラリー=図書館」と称されているだけあって、コンテンツ自体にアクセスできます(著作権処理が済んだもの限定ですが)。

文化庁のメディア芸術データベースは「データベース」なので、情報を一覧できるだけです。これがもし、一覧からコンテンツの中身に直接アクセスできるようになればデジタルアーカイブと呼ぶことができますが、現状ではアクセス不可なのでそう呼ぶことはできません。

 

要するに「コンテンツ自体へのアクセスを確保するために、コンテンツを保存する施設またはサービス」が「(デジタル)アーカイブ」の条件となるわけです。

 

出版物の保存

さて、ここまでの間にアーカイブとは何か?ということをざっくりと述べてきましたが、ここからはコンテンツの中でも「出版物」のアーカイブ化について考えていこうと思います。

出版物のアーカイブというと、やはり図書館がその代表例でしょう。

図書館資料の大半が出版物(=書籍、雑誌)であるわけですし、国会図書館納本制度を定めているのも、図書館が出版物を保管・保存するという使命を担っていることの表れです(残念ながら日本の納本制度は義務ではなく任意で、罰則規定もないので、国会図書館と言えども毎年発行される出版物の1割程度は納本されないそうですが…)。

(2015年5月9日18:44追記→納本制度は義務付けられた制度でした。お詫びして訂正いたします。とはいえ、罰則規定がないのは事実で、納本の際に代金を貰えるものの定価の6割くらいなので、納本しない出版者がいることに変わりはありません)

 

アーカイブとしての図書館は、「モノ」としての出版物を収集・保存しています。

「データ」としての出版物、いわゆる電子出版物を収集・保存している場合はデジタルライブラリー、すなわち電子図書館と呼ばれるのが通例です。

この電子出版物ですが、近年では紙媒体の出版物を制作するのと並行して、電子媒体の出版物(=電子書籍)も制作する流れが出てきているのは周知のとおりです。

ですが、紙媒体とは違い、電子媒体に対する納本制度はまだ確立されていないので、結局のところ、国会図書館のような大規模図書館や、関連企業が紙媒体を電子化してデジタルアーカイブにしているのが実情です(かのGoogleも紆余曲折はありましたが、大学図書館に所蔵されている「モノ」としての資料を電子化してGoogle Booksで公開しているのです)。

 

コンテンツ自体を保存するだけでいいのか?

ここで個人的にひとつ疑問がわきます。

コンテンツを保存する場合(ここでは出版物に限定しますが)、紙媒体にせよ、電子媒体にせよ、コンテンツ“それ自体”の保存でいいのでしょうか?

電子媒体の場合はそれでも構わないのかもしれません。そもそもがデータなので。

しかし、紙媒体の場合は完成品だけを保存するので充分でしょうか?

 

紙の出版物を完成させるには、印刷がされなければなりません。

印刷するためには、「版」が必要です。

「版」というのは、紙にインクを乗せるために必要となる、いわば「ハンコ」です。版画でいうところの版木に当たります。

印刷業界において、この「版」というのは「ポジ」と呼ばれるフィルムを指します(他にも「版」に当たるものはありますが)。

といっても、版はポジのような物理的に存在するものだけではなく、データとしての版もあるのですが、どちらにせよ言えることは、この「版」が出版物の「設計図」に当たるということです。

 

僕は、この設計図も保存するべきだと考えています。

なぜか。

出版物には「絶版」というものが存在します。つまり、再びその出版物が世の中に流通することはない、という状態のことです。

絶版になった出版物は、古本屋や、それこそ図書館でしか手に入れることができません(だからこそ図書館は絶版になったコンテンツにもアクセスできるように出版物を収集・保存しているわけですが)。

とはいえ、絶版になった出版物の需要が何年後かに復活するということもありえます。場合によっては「復刊」ということがありますが、この復刊を実現するためには「版」が必要なのです。

逆に言えば、「版」が存在しない出版物は復刊できないということです。

これはあまりにももったいない。

 

設計図である「版」の保存も!

そこで僕は「版」も保存することを望みます。

版さえあれば、絶版本を再び流通に乗せることが可能になります。

また、いままでは図書館にしかなかったけども、手元に残しておきたいという需要にも応えることができます。

どういうことかというと、絶版本だとしても版があれば、POD(プリント・オンデマンド)印刷という形で、希望する個人向けに届けることが可能なのです。

POD印刷は、一般的な印刷部数を下回る少部数の印刷に特化した技術です。それこそ1部単位で印刷することができます。

たしかに少部数なので1部当たりの印刷単価は通常よりも高くなりますが、それでも絶版本を古書店で手に入れようとするよりは安く済むはずです。

 

でも、このようなことが可能になるには「版」が残っていることが前提となります。

版がなければ、出版物を製造することはできません。

逆に、版が残っており、POD印刷を個人が気軽に利用できる環境にさえなっていれば、実質的に絶版本というものはなくなります。

 

結論

長々と述べてきましたが、まとめたいと思います。

コンテンツのアーカイブというと、コンテンツそれ自体や、コンテンツをデータ化したものを収集・保存するというイメージが当然となっています。

しかし、僕は保存されたものは、再利用されなくては意味がないと考えています。

博物館や宝物館にあるようなものは、そもそも1点もののオリジナルで、複製品といったコピーでは意味がないので、再利用ということはそもそも考えられていません。

けれども、コンテンツというのは違います。もともと複製技術の発展によって成立しているものなので、オリジナルというものが存在しません(無理にオリジナルを探そうとすれば、作家の原稿などでしょうか)。

であるならば、コンテンツを製造するための「設計図」もきちんと保存するべきなのではないか?

これが僕の提起したい考えです。

 

僕は大学院に入学する前、印刷会社に勤めていました。

新入社員研修で、印刷工場のポジ保管庫の整理をしていましたが、想像以上にショックな光景が広がっていました。

先述のようにポジはフィルムです。ですので、劣化はするし、変色はするし、折れ目がついてしまっては「版」としての役割を果たせなくなります。

ですが、役割を果たせなくなったポジが大量にありました。

決して、その会社の保管状況が格段に悪いということではないと思います。規模の大小を問わず、印刷会社のポジ保管というのは、そういうものなのだと思います。日々、何百点何千点という設計図=ポジを使うわけですから。保管すること自体が多大なコストのかかることなのです。

 

とはいえ、その設計図があるからこそ出版物を製造できるのです。設計図が使い物にならなくなってしまっては製造できません。

だから、どんな形でも構いません。

物理的な手段でも電子的な手段でも良いので、「設計図のアーカイブ」というものを構築することを提言したいと思います。

脱サラして大学院に行く男の話 vol.2

前回のエントリー「脱サラして大学院に行く男の話 vol.1 - Tazzo's diary」からかなり時間が空いてしまいましたが、下書き状態で眠っていたものを公開します。

 

東京大学大学院情報学環・学際情報学府

2014年度入試(2013年8月実施)を受験しました。

志望したコースは「文化・人間情報学コース」です。

ちなみに「情報学環」は大学院ではなく、教授たちが所属する研究機関という扱いで、大学院としての呼称は「学際情報学府」らしいです。ただ両者は併記されるのが通常で、大学院としての略称も「学環」と呼ばれることが多いようです。

 

試験科目は、1次試験が英語と専門科目、2次試験が面接になります。

東大の学環は、かなり入試スケジュールが早いです。先述のように秋と冬に実施するのが院試のスタンダードですが、学環は8月です。しかも1回だけで、冬の試験はありません(理系のコースだと冬にもあります)。

 

1次試験

英語は大学院独自作成の問題ではなく、TOEFL-ITPです。

これはTOEFLを団体受験するもので、これを院試の英語試験の代わりにする場合が最近多くなっているようです。

出題されるのは、リスニング・文法・長文の3題です。他のTOEFLのようにライティングやスピーキングはありません。

基本的にTOEFLの対策問題集を解けば良いと思います。リスニングはPodcastの「BBC 6min English」で対策しました。が、試験当日のリスニングがまるで聴き取れなかったので、もっと良い対策があると思います。

また、もし入試までに時間があるなら、一度TOEFLを受験してみるのも手です。僕はTOEFLの受験経験がなかったので、時間配分や解き方に慣れず、当日かなり苦戦しました。まさか、と思う指示がされるときがあるのです。

僕の場合「問題用紙にメモなどの書き込みをしてはならない」というのが、その「まさか!」でした。英語の問題を解くときは、カッコや丸印を書き込んで読むクセをつけていたので、それができないことで読むスピードがかなり落ち、内容も頭になかなか入ってきませんでした。

 

専門科目は、論述問題と説明問題です。

論述は2つの文章を読んで、下線部の内容を問う問題、2つの文章の相違点を問う問題、両者の内容を踏まえて自分の研究について述べる問題の3題が出されます。大学受験の国語の問題+小論文、という感じです。

説明のほうは、6つある問題文から2つを選んで、それぞれを800字以内で説明する問題です。出題される話題がかなり広範囲にわたります。情報学、哲学、歴史学社会学などなど。

論述問題の対策は、とにかく過去問を解くことです。それ以外に対策のしようがありません。他にやれることといえば、文章を書き馴れるようにしておくくらいでしょうか。

説明問題の対策は、なかなか難しいです。出題されるジャンルが特定しにくいので、まずは過去問を見て、出題傾向を類推し、そこから関連する分野の文献を読むの近道だと思います。あとは所属している先生たちの著作を読む。

僕は文献を読みまくって、ノートにまとめて……という作業しか対策ができませんでした。

 

それでも一応、1次試験には通過できました。ちなみに学環は、英語と専門科目が別日程で行われます。

まず英語を受験し、約2週間後に専門科目を受けます。これは間にお盆が挟まって、キャンパスが閉鎖されるからだと思います。逆に言えば、英語が終わってから、専門科目の対策をはじめられる、ということでもあります。

 

2次試験

面接は大体15~20分です。そのうち7分を使って、自分の研究計画についてまず発表します。その際、パソコンの使用も可能です。僕はパワポで研究計画を説明しました。

それが終わると、残りの時間を使って面接官から質問されます。面接官は5人前後です。質問内容は、やはり研究計画についてです。

明大のときとは違い、研究計画がブラッシュアップできていたので、しどろもどろになることはありませんでした。

面接官は6人(5人だったかも)。指導希望教授1人+その他、といった形です。ちなみに東大の学際情報学府は指導希望教授を第5希望まで記入できます。

 

質疑応答では、研究テーマを全体的にどのような流れにしたいのか?などと言った、わりと細かいところまで聞かれます。僕の場合「経済的な面と技術的な面どちらを重視して研究を進めていこうと考えていますか?」と聞かれました。

また面接官によっては受験者の研究テーマに関わる時事的な話題をちゃんと知っているか確認するための質問もしてきます。「オーファン著作物についてどう思う?」と質問されました。

 

 

残念ながら2次試験の面接で不合格となってしまいましたが、本気で東大の大学院に行くための対策や文献購読などをすればするほど、東大の偉大さを感じられる、という経験ができただけでも大収穫です。

国内最高の学術レベルを持つ環境で行なえる研究というのは、大学院を目指す人にとっては憧れの対象だと思います。

 

記事公開までの時間も文章量も長くなってしまいましたが、これから大学院を目指す学生や社会人の方々、ぜひとも頑張ってください。

 

東大対策で使用した参考書などは以下の通りです(覚えている限り)。

Amazon.co.jp: TOEFL Test iBTリーディング 実践編: ジム クヌーセン, 生井 健一, Jim Knudsen: 本

Amazon.co.jp: 全問正解するTOEFL ITP TEST文法問題対策 ([テキスト]): 林 功: 本

Amazon.co.jp: 社会情報学ハンドブック: 吉見 俊哉, 花田 達朗: 本

Amazon.co.jp: 現代思想の教科書 (ちくま学芸文庫): 石田 英敬: 本

Amazon.co.jp: ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書): 西垣 通: 本

Amazon.co.jp: 集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書): 西垣 通: 本

Amazon.co.jp: メディア文化論 --メディアを学ぶ人のための15話 改訂版 (有斐閣アルマ): 吉見 俊哉: 本

Amazon.co.jp: 情報社会を知るクリティカル・ワーズ: 田畑 暁生: 本

Amazon.co.jp: 文化人類学入門 (中公新書 (560)): 祖父江 孝男: 本

Amazon.co.jp: ウェブ社会の思想―“遍在する私”をどう生きるか (NHKブックス): 鈴木 謙介: 本

拝啓 森田一義 様

笑っていいとも!、32年間おつかれさまでした。

 

僕が人生で最初に覚えた芸人、それがタモリこと森田一義です。

母親が毎日観ていたので、僕も物心ついたときから「笑っていいとも!」を観てきていました。

平日12時は8チャンネル、フジテレビにテレビを合わせるのが当たり前でした。

生活の一部。そう言っても過言ではありません。

 

初めてタモリさんをテレビで見たとき「なんだ、このサングラスをかけた気持ち悪いおじさんは?」というのが第一印象です。

いまとなっては伝説化している「イグアナのものまね」「コンドルの着地」「四か国語麻雀」「ハナモゲラ語」などなど。これらの芸をブラウン管からリアルタイムで視聴できたことは僕の宝です。幼い頃からテレビっ子で良かった、と実感しています。

コンドルの着地にいたっては、小学校のとき何回か真似をしていた思い出すらあります。そのくらい「笑っていいとも!」に、タモリさんに傾倒していました。

素人芸の天才。森田一義という芸人を超える人間は後にも先にも登場してこないだろう。そう思っています。

 

そんなタモリさんの代表作である「笑っていいとも!」が終わると発表されたとき、僕はテレビの前でリアルタイムでいいともを観ていました。

数年前から恒例行事のようにテレビ番組の改編期が訪れると噂されていた、いいとも終了。それがついに現実になるのだ、と思い知らされました。

発表当時68歳のタモリさんなのだから、毎日の生放送は難しくなってくるのかもしれない。そう言い聞かせて、いいともが終わることを自分に納得させていました。

それでもやっぱり、僕にとって生活の一部だった「笑っていいとも!」が終わるのは残念でなりません。

 

究極のマンネリ番組。ナンセンスだけの番組。そういった評価もされるいいともですが、僕においては、平日の昼休みを実感させてくれるもの。日々の時間を教えてくれるもの。毎日エンタテイメントを与えてくれるもの。そういう番組でした。まるで時計のような役割をしていた番組でした。

学生時代に就活をしていたとき、フジテレビのエントリーシートに「フジテレビのキャッチコピーを作ってください」という課題がありました。僕は「喜怒哀楽のおもちゃ箱」と書きました。

フジテレビが「喜怒哀楽のおもちゃ箱」だと感じるようになったきっかけこそ、物心ついたときから楽しみに観てきた「笑っていいとも!」でした。僕にとってフジテレビ=笑っていいとも!だったのです。タモリさんはじめレギュラー陣とゲストが僕たちに提供してくれるもの。喜怒哀楽すべてが詰まったおもちゃ箱。それが「笑っていいとも!」であり、いいともを製作しているフジテレビのイメージでした。

 

中学生のとき一時的に不登校だったときも、社会人時代に体調を崩して休職していたときも、いいともが放送されるのを毎日楽しみにしていて、必ずいいともが始まる時間には昼食をとりながらテレビの前に座っていました。

朝帰りしたときも、二日酔いがつらいときも、風邪をひいて高熱を出しているときも、睡眠時間が少なかったときも、どんなときでも家にいる場合は絶対にいいともの放送に間に合う時間に起床していました。

日曜日だったら増刊号を必ず観る。どんなシチュエーションでも必ず観る。

観るのが当たり前、放送されているのが当たり前。そういう番組でした。

 

笑っていいとも!」が終わるのは、本当に残念です。

先週3月24日の放送からタモリさんが「今週から終わる実感で出てきた」と言っていましたが、僕はいまでも実感が湧きません。

今日あったレギュラー最後の放送、夜の超特大号、楽しみに視聴させていただきました。それでも実感はイマイチです。

 

超特大号でレギュラー陣のみなさまがタモリさんに感謝の一言を述べる場面。香取慎吾くんが話し始めてからずっと泣きっぱなしで「ああ、、やっぱりいいともは終わるんだ」と思いはしましたが、エンディングを迎えても「これでいいともが終わったんだ」という実感は生まれませんでした。

また明日からいつものように新宿アルタから生放送があるんじゃないか。タモリさんがレギュラー陣、スタッフ、視聴者全員にコメントをしていたけれども、それでも明日フツーに12時に8チャンネルをつけたらいいともがやってるんじゃないか。そう思ってしまうくらいフツーに、いいともらしく、タモリらしく、自然な形のエンディングだった気がします。

普段の特大号が終わっただけ。その程度に思ってしまうほど自然な終わり方でした。

 

明日から平日12時をどうやって迎えればいいんだろう。日曜の10時はどうしよう。いいともがない日々を僕はどう過ごすんだろう。不安でなりません。

すでにいいともが帰ってきてほしい、と願ってやみません。

1年に1回でも「笑っていいとも!」のスペシャルが放送されることを望みます。

マンネリ、ナンセンスと言われようが、またあの無目的な、タモリ流のジャズ精神が詰まった喜怒哀楽のおもちゃ箱が僕たちの前に戻ってくることを期待しています。

 

でも、その前にタモリさん、32年間のアルタ勤務で溜まった疲れを癒してください。この32年間のアルタ勤務でできなかった趣味や旅を楽しんでください。

森田一義アワーがまた観れることをいつまでも待っています。気が向いたらタモリさんの「ウキウキWatching」を聴かせてください。気が向いたら「笑っていいとも!」に帰ってきてください。

 

サングラスの奥に溜まった涙を時々拭っていたタモリさんの姿は忘れられません。

 

改めて32年間おつかれさまでした。

また「笑っていいとも!」でお会いできるのを楽しみにしています。

おやすみなさい。

 

 

2014年3月31日

森田一義アワー 笑っていいとも!」を愛する視聴者の一人より

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