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感情論的、日記的

極端に不定期更新です。

【提言】コンテンツのアーカイブ化に対して

だいぶご無沙汰しております。Tazzoです。

気づいたら最後に更新してから1年以上が経過しておりました。

久しぶりの更新に際して、ブログ名も「Tazzo's Diary」から変更いたしました。
そうです。かの偉人ニーチェからあやかったブログ名にしました。
 
さて、最後の更新から現在までの状況を簡単にご説明しておこうと思います。
 
4月に大学院へ入学して以来、文献を読みあさりながら修士論文執筆に向けての準備をしているという日々でございます。
コンテンツ流通についての研究テーマで当初はいましたが、現在はインターネット広告が社会に与える影響についてというテーマでやっております。
根本的な部分は変わっていない、と自分の中では思っておりますが、果たしてどうでしょうか。
 
とはいえ、ネット広告を研究テーマに据えたがゆえに、いろいろと思いつくことも増えてきました。
今後もこのブログの主旨である「覚書」として、その「想い」をここに残しておこうと思います。(更新の頻度はどうなるかわかりませんがw)
 
今回は「コンテンツのアーカイブ化」について徒然なるままに綴っていきます。
 

コンテンツとは

「コンテンツ」って言葉は、いろいろな定義があるんですよね。

「中身」というのが英語contentの直訳ですが、一般的には「メディアの中身」、つまり文字とか音、映像を指します。

一方で、ハードウェアに対するソフトウェア、ソフトウェアの中身のうち「プログラム」ではなく「データ」をコンテンツという場合もあるようです。

コンテンツについては、コンテンツ - Wikipediaをご参照ください。

 

ここでは「出版、映像、音楽、ゲーム作品」の総称としてコンテンツという言葉を使っていきます。

 

アーカイブ

「アーカイブ」というのも定義の多い言葉です。

記録を保存する、というのがアーカイブの役割ですが、図書館学としてのアーカイブ、コンピュータ用語としてのアーカイブなどなど、いろんな分野でアーカイブという言葉が使われています。

総じて言えるのは「保管庫」ということなのでしょうが、保管庫であれば、図書館も博物館も公文書館も宝物館もすべてアーカイブですし、データベースだってアーカイブです。

特に「コンテンツのアーカイブ」ということを考える場合、コンテンツの定義にもよりますが、今回の定義(出版、映像、音楽、ゲーム作品の総称)で言えば、図書館が典型的なアーカイブとなります。

また「コンテンツのデジタルアーカイブ」ということになれば、コンテンツ情報を蓄積しているデータベースがそれに該当するでしょう。

 

デジタルアーカイブ 

実はこの「デジタルアーカイブ」というのは、個人的に曲者だと思っています。

一般的には国立国会図書館近代デジタルライブラリーが典型的なデジタルアーカイブのはすです。

基本的に出版物がメインですが、コンテンツの情報を公開し、コンテンツ自体(この場合は出版作品の本文)にアクセスできるものです。

図書館自体がアーカイブなので、図書館資料を電子化したものは必然的にデジタルアーカイブとなる、というのは想像しやすいと思います。

 

では、電子書籍ストアはどうなのか?

実店舗の書店や本屋さんがアーカイブとみなされないのと同様、書店の電子版である電子書籍ストアもデジタルアーカイブとは言えない、というのが大方の見方でしょう。

「書店」「本屋」というのはリアルでもヴァーチャルでも、あくまで小売店であり、保管ではなく流通を目的としているからです。

 

あるいは、先日公開された文化庁メディア芸術データベースはどうでしょうか?

網羅される範囲はそれぞれで異なりますが、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアアートの作品名や公開日、製作者などの情報を含む、かなり大規模なデータベースです。

まさにコンテンツのデータベースと言えます。

であるならば、これはデジタルアーカイブと呼べるのか?

残念ながら、そうは言えなさそうです。

というのも、このデータベースは情報を一覧で表示しているだけであって、コンテンツ自体にアクセスできないからです。

 

アーカイブの条件

ここまで見たところで、「アーカイブ」と言われるための条件について考えいきます。

さきほど図書館、書店、データベースを例に挙げた上で、図書館はアーカイブだけど他は違うとしました。

3者の違いはなにかというと、コンテンツ自体にアクセスできるかどうか、ということになります。

 

「実店舗の書店であれば、その場でコンテンツの中身を読めるじゃないか!」

電子書籍ストアだって、試し読みが可能だ!」

…という声もあるかと思います。

でも、それって「買うかどうか」を決めるための行為ですよね?

たしかに、周囲の視線を気にしないでいられる強靭な精神を持った方であれば、立ち読みで1冊分読むことはできるかもしれません。

けれども、繰り返しになりますが、リアルだろうとヴァーチャルだろうと書店は小売店に過ぎず、購買してもらうため、購買のきっかけとなるために「立ち読み」や「試し読み」を許可しているのであって、別にコンテンツへのアクセスを確保することが書店の目的ではありません。

 

データベースの場合も同様です。

国会図書館文化庁の例を取り上げましたが、前者はデジタルアーカイブで、後者は違うとしたのも、やはりコンテンツそれ自体へのアクセスが可能かどうか、というのが両者の差異になります。

国会図書館近代デジタルライブラリーは「ライブラリー=図書館」と称されているだけあって、コンテンツ自体にアクセスできます(著作権処理が済んだもの限定ですが)。

文化庁のメディア芸術データベースは「データベース」なので、情報を一覧できるだけです。これがもし、一覧からコンテンツの中身に直接アクセスできるようになればデジタルアーカイブと呼ぶことができますが、現状ではアクセス不可なのでそう呼ぶことはできません。

 

要するに「コンテンツ自体へのアクセスを確保するために、コンテンツを保存する施設またはサービス」が「(デジタル)アーカイブ」の条件となるわけです。

 

出版物の保存

さて、ここまでの間にアーカイブとは何か?ということをざっくりと述べてきましたが、ここからはコンテンツの中でも「出版物」のアーカイブ化について考えていこうと思います。

出版物のアーカイブというと、やはり図書館がその代表例でしょう。

図書館資料の大半が出版物(=書籍、雑誌)であるわけですし、国会図書館納本制度を定めているのも、図書館が出版物を保管・保存するという使命を担っていることの表れです(残念ながら日本の納本制度は義務ではなく任意で、罰則規定もないので、国会図書館と言えども毎年発行される出版物の1割程度は納本されないそうですが…)。

(2015年5月9日18:44追記→納本制度は義務付けられた制度でした。お詫びして訂正いたします。とはいえ、罰則規定がないのは事実で、納本の際に代金を貰えるものの定価の6割くらいなので、納本しない出版者がいることに変わりはありません)

 

アーカイブとしての図書館は、「モノ」としての出版物を収集・保存しています。

「データ」としての出版物、いわゆる電子出版物を収集・保存している場合はデジタルライブラリー、すなわち電子図書館と呼ばれるのが通例です。

この電子出版物ですが、近年では紙媒体の出版物を制作するのと並行して、電子媒体の出版物(=電子書籍)も制作する流れが出てきているのは周知のとおりです。

ですが、紙媒体とは違い、電子媒体に対する納本制度はまだ確立されていないので、結局のところ、国会図書館のような大規模図書館や、関連企業が紙媒体を電子化してデジタルアーカイブにしているのが実情です(かのGoogleも紆余曲折はありましたが、大学図書館に所蔵されている「モノ」としての資料を電子化してGoogle Booksで公開しているのです)。

 

コンテンツ自体を保存するだけでいいのか?

ここで個人的にひとつ疑問がわきます。

コンテンツを保存する場合(ここでは出版物に限定しますが)、紙媒体にせよ、電子媒体にせよ、コンテンツ“それ自体”の保存でいいのでしょうか?

電子媒体の場合はそれでも構わないのかもしれません。そもそもがデータなので。

しかし、紙媒体の場合は完成品だけを保存するので充分でしょうか?

 

紙の出版物を完成させるには、印刷がされなければなりません。

印刷するためには、「版」が必要です。

「版」というのは、紙にインクを乗せるために必要となる、いわば「ハンコ」です。版画でいうところの版木に当たります。

印刷業界において、この「版」というのは「ポジ」と呼ばれるフィルムを指します(他にも「版」に当たるものはありますが)。

といっても、版はポジのような物理的に存在するものだけではなく、データとしての版もあるのですが、どちらにせよ言えることは、この「版」が出版物の「設計図」に当たるということです。

 

僕は、この設計図も保存するべきだと考えています。

なぜか。

出版物には「絶版」というものが存在します。つまり、再びその出版物が世の中に流通することはない、という状態のことです。

絶版になった出版物は、古本屋や、それこそ図書館でしか手に入れることができません(だからこそ図書館は絶版になったコンテンツにもアクセスできるように出版物を収集・保存しているわけですが)。

とはいえ、絶版になった出版物の需要が何年後かに復活するということもありえます。場合によっては「復刊」ということがありますが、この復刊を実現するためには「版」が必要なのです。

逆に言えば、「版」が存在しない出版物は復刊できないということです。

これはあまりにももったいない。

 

設計図である「版」の保存も!

そこで僕は「版」も保存することを望みます。

版さえあれば、絶版本を再び流通に乗せることが可能になります。

また、いままでは図書館にしかなかったけども、手元に残しておきたいという需要にも応えることができます。

どういうことかというと、絶版本だとしても版があれば、POD(プリント・オンデマンド)印刷という形で、希望する個人向けに届けることが可能なのです。

POD印刷は、一般的な印刷部数を下回る少部数の印刷に特化した技術です。それこそ1部単位で印刷することができます。

たしかに少部数なので1部当たりの印刷単価は通常よりも高くなりますが、それでも絶版本を古書店で手に入れようとするよりは安く済むはずです。

 

でも、このようなことが可能になるには「版」が残っていることが前提となります。

版がなければ、出版物を製造することはできません。

逆に、版が残っており、POD印刷を個人が気軽に利用できる環境にさえなっていれば、実質的に絶版本というものはなくなります。

 

結論

長々と述べてきましたが、まとめたいと思います。

コンテンツのアーカイブというと、コンテンツそれ自体や、コンテンツをデータ化したものを収集・保存するというイメージが当然となっています。

しかし、僕は保存されたものは、再利用されなくては意味がないと考えています。

博物館や宝物館にあるようなものは、そもそも1点もののオリジナルで、複製品といったコピーでは意味がないので、再利用ということはそもそも考えられていません。

けれども、コンテンツというのは違います。もともと複製技術の発展によって成立しているものなので、オリジナルというものが存在しません(無理にオリジナルを探そうとすれば、作家の原稿などでしょうか)。

であるならば、コンテンツを製造するための「設計図」もきちんと保存するべきなのではないか?

これが僕の提起したい考えです。

 

僕は大学院に入学する前、印刷会社に勤めていました。

新入社員研修で、印刷工場のポジ保管庫の整理をしていましたが、想像以上にショックな光景が広がっていました。

先述のようにポジはフィルムです。ですので、劣化はするし、変色はするし、折れ目がついてしまっては「版」としての役割を果たせなくなります。

ですが、役割を果たせなくなったポジが大量にありました。

決して、その会社の保管状況が格段に悪いということではないと思います。規模の大小を問わず、印刷会社のポジ保管というのは、そういうものなのだと思います。日々、何百点何千点という設計図=ポジを使うわけですから。保管すること自体が多大なコストのかかることなのです。

 

とはいえ、その設計図があるからこそ出版物を製造できるのです。設計図が使い物にならなくなってしまっては製造できません。

だから、どんな形でも構いません。

物理的な手段でも電子的な手段でも良いので、「設計図のアーカイブ」というものを構築することを提言したいと思います。