読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

感情論的、日記的

極端に不定期更新です。

一夜明けて、SMAP×SMAP

SMAPが一番最初に知ったアイドルだった。

何をきっかけに彼らを知ることになったのか、いまではもう思い出せない。

けれども、母親が『ロングバケーション』を観たあと、いつも『SMAP×SMAP』を観ていて、僕もそれにつられて観ていた。

 

SMAPは1988年に結成した。僕は1988年に生まれた。いわば同級生だ。

よく知られた話だが、SMAPはジャニーズの他グループとは異なり、結成・デビューの直後から順風満帆だったわけではない。それはデビュー曲がジャニーズとしては異例のオリコン1位を獲り損ねたからとか、音楽番組低迷期だったからとかではない。

 

結成した1988年は昭和最後の年で、翌年の1989年には平成に改元され、ベルリンの壁が崩壊した。デビューの年である1991年にはソ連が解体され、冷戦構造に終焉が訪れた。バブルが崩壊したのも、この頃であった。

初のオリコン1位を獲得した翌年1995年にはWindows95が発売され、世間にインターネットが普及しはじめる。

デビュー5周年の記念すべき年であった1996年には『スマスマ』が放送されるものの、その直後に森くんが脱退する。

夜空ノムコウ』で初ミリオンを達成し、名実ともに国民的アイドルグループの座を昇りはじめた1年後には、DoCoMoが「i-mode」をリリースし、ネット社会がどんどん進展していく。

『らいおんハート』で2回目のミリオンを達成した世紀末の2000年、キムタクが結婚を発表した。

2001年のデビュー20周年では、吾郎ちゃんが逮捕され、未曽有の9・11テロが起こり、グローバル社会の不安定性が露呈する。『世界に一つだけの花』でダブルミリオンを達成した2003年にはイラク戦争が勃発し、「グローバル」のしわ寄せが次々に起こった。

 

デビュー15周年の2006年前後は「国民的アイドル」という枠から抜け出し、「超アイドル」として「国宝級」の活躍をしていた。まだ嵐が「国民的」になるまでには至っておらず、AKBの誕生前だったし、ネットは当たり前になっていたけどSNSYouTubeはそれほど日本では活用されていなかったという事情もあったと思う。

それでも、2009年にはつよぽんが逮捕され、SMAPは2回目の4人体制を迎える不名誉をあずかってしまう。

 

2011年。デビュー20周年にはあの東日本大震災が起こり、スマスマで毎回、義援金への寄付を呼び掛けることになる。

2014年、5人で司会を務めた「FNS27時間テレビ」で行なったノンストップライブでは、40歳を過ぎた中居がステージ上から途中離脱し、「国宝級アイドル」で居続けることの身体的な限界が露呈してしまった。

ちなみに、このときの27時間テレビでは、SMAPがライブ「Mr.S saikou de saikou no CONCERT TOUR」を開催することが発表され(SMAP本人も番組内で知る、という体裁だった)、ありがたいことに僕はアリーナ席で参戦するという僥倖に恵まれる。当時このコンサートがSMAP最後のものになるとは思いもしなかった。

そして、今年2016年を迎えた早々、あの一連の〈騒動〉である。

 

SMAPの25年あるいは28年を振り返ると、「国宝級」でありながら、節目節目でグループ自体の危機や変化、もしくは社会的な危機や変化が起きていたことがわかる。それらをひとつひとつ乗り越えたからこそ「国宝級」になったとも言えるけれども、やっぱり常に「危機」と隣り合わせだったように思う。

このことは、太田省一が先日刊行した新書で書いていたように、「平成」という時代を象徴するものだと言えるかもしれない。

ただそんな社会的な位置づけとは関係なく、やはりスマスマが終了し、SMAPが解散してしまうのは、リアリティのない出来事としか言いようがない。

 

冒頭で言ったように、最初に知ったアイドルがSMAPで、彼らと同級生のようなもので、気づいたらスマスマを欠かさず観るのが日常になっていた僕は、当然のようにSMAPのファンになるし、それも結構なファンだと自負している。

そこで、ちょっとだけSMAPの個人的な思い出を振り返りたい。

 

自分のお金で初めて買ったCDは『らいおんハート』だった。

小学6年生だった僕は、教室に設置されているCDプレーヤーを使って、クラスメイトに自慢するかのように『らいおんハート』を流していた。女子が流していたプッチモニ。の『ちょこっとLOVE』を途中で止めて、SMAPに変えたので、めちゃくちゃ怒られるという経験もした。そのくらい、自分で買ったCDを流せることが嬉しかったし、SMAPの曲を聞きたかった。

そして、しつこく僕が教室でSMAPを流しているとき、クラスで小さな一悶着があった。「らいおんハート」の方が好きか、「オレンジ」の方が好きか、という揉め事である。

いまではSMAP随一の名曲として世間一般でも知名度の高い「オレンジ」だけれども、それが「らいおんハート」のB面(この表現は古いか。いまでいうカップリング)だったという事実は世間的にはどれほど知られているのかわからないけれども、とにかく、小学6年の僕のクラスでは、A面とB面のどちらを指示するかということで意見が二分されていた。

僕は「オレンジ派」だった。もちろん当時の僕は、あの歌の詩で描かれている大人の中に残る少年少女の気持ちが、どれほど切ないものだったかなんてことは、わかっていない。それでも「バス」「夕日」「オレンジのつぶ」という言葉がなぜか心に刺さって、「らいおんハート」が聞きたくてCDを買ったくせに、一発で「らいおんハート」よりも好きになっていた。

そんな「オレンジ」の良さは多くの人も気づいたみたいで、のちにカップリング曲だけを集めたベスト盤『psmS』(ウラスマ)が発売されることになったとき、僕は人知れず「したり顔」だったのである。

 

僕がSMAPファンであることを自覚すると同時に、どんどんSMAPにのめり込んでいったのは、この〈らいおんハート・オレンジ騒動〉があったからである。

 

そんな僕にとって、やっぱりSMAPの解散報道は衝撃的であった。

修士論文を提出した直後ということもあり、あのときの僕の感情はめちゃくちゃになった。大好きだった安倍なつみモーニング娘。を卒業するという発表を受けたときも驚天動地の衝撃だったけれど、SMAPに関してはそれ以上だった。

それだけ「当たり前のSMAP」という存在になっていた。それは〈騒動〉の大きさを考えると、ファンも、そうじゃない人も同じだったはず。だって、一国の首相と官房長官までコメントすることになったんだから。

 

解散報道の直後、SMAP存続を願う電子署名活動があったことを知って、僕はすぐに参加した(のちに、署名活動の方針をめぐって、代表者と揉め、活動から離れたけれど)。

いまでも「解散しないで」とか「やはり解散すべきだ」とか、いろいろブログで言ってる人や、ワイドショーで話す三流以下の芸能人が大勢いる。「メリーさんが悪い」とか「悪玉はキムタク(と工藤静香)」みたいな陰謀説めいたことを煽るゲス週刊誌も相変わらず残っている。

〈騒動〉があったからという理由で、久しぶりに、あるいはほぼ初めてスマスマを観た人たちが「キムタクと慎吾の距離がおかしい」とか言って、「SMAP不仲説」に正当性を与えようとしだす輩もいる。

別に何を言ってもいいし、どう感じようが興味ないけど、SMAPファンであることを自負している僕が、そいつらに対して個人的な感想を述べさせてもらえるのだとすれば、「おまえらはSMAPの何を知ってるんだ?」と言いたい。

 

往年からのSMAPファンの方々であれば共感してもらえると思うけど、「SMAP不仲説」に関しては、いまに始まったことではない。いまに始まったわけではないくせに、週刊誌が「解散は不仲が原因」みたいな主旨の記事を書いて、それをさも真実のように扇動しているのは許せない。

SMAPはデビュー当時からダンスはバラバラだったし、メンバー全員がボス猿タイプのプライド高い連中なんだから。というか、あの程度の距離感、会話内容に違和感を抱いてしまうのは、単に〈騒動〉が報じられたことで、そういう見方でSMAPを観察してしまうようにメディアに侵されてるだけでしょ。自分と友達、自分と同僚、自分と家族との関係を振り返ってみろよ。SMAPがテレビで見せる振る舞いと同じことしてるだろ。それを「不仲」って言うなんて、ちゃんちゃらおかしい。どんだけおまえたち他人と仲良くしてるんだよ。

SMAPにかぎらず、たとえば「ダウンタウン」や「とんねるず」も不仲説がささやかれるけど、その程度の「不仲」は一般人にとっても日常的。芸能人は「仲良し」なんて幻想。むしろ、そういう「幻想」をビジネスライクに見せたりせずに、堂々と「一般人の距離」を見せていたのが、SMAPのアイドルとしては異例の凄さだと思う。

 

そして、僕のSMAPファンとしての立場は、解散に反対するわけでもなく、かといって諸手を挙げて受け入れるわけでもなく、ただただ静観すること。

『世界の一つだけの花』を何枚も購買することもしない(あの購買行動を「花摘み」というハッシュタグで呼びかけるのはどうかと思ったけど。摘んでどうするんだよ。せめて「花植え」だろ。でも、購買されたみなさん、おつかれさまでした)。

デビュー日の9月9日に「よみうりランド」に行くこともしない(報道でよみうりランドSMAPの曲を有線で流していたという話を聞いたときは、さすがに感動したけど)。

東京新聞に広告を載せたりもしない(ああいうシステムで広告を載せられることは初めて知ったからびっくりだった)。

もちろん、メリーさんの自宅を特定して、そこに糞を投げ込む、みたいな都市伝説めいたこともしない(そんなことしたやつホントにいたのかね。いたとしたら、いますぐSMAPに謝れ)。

とにかく、僕は、SMAPが最後に向けて何をして、何をしないのかを、ただただ静かに、わめかず、騒がず、まるで「SMAPがいるのが当たり前」という状態で居続けることにしている。ぶっちゃけ、そういうスタンスをとることしかできない。何をしたらいいのかわからないから。CDを買おうとした人も、聖地に赴こうとした人も、署名やメッセージを届けようとした人も、何したらいいかわからないからこそ、思いついたそういうことをしたんだと思う。でも、僕は、本当に何をしたらいいのかわからなかった。CD買おうとか、よみラン行こうとか、新聞に広告出そうとか、思いつきもしなかった。

だから、「あえて」何もしない、という立場をとるのがSMAPファンとしての自分にとって正直だし、いままでしてきたことと変わらないから良いのかな、と思う。〈熱心〉なファンからすれば、僕のこのスタンスは批判されたり否定されたりするかもだけど、僕は自分で「熱心なSMAPファン」だと思っているし、少なからず、僕の周りにいる人間からもそう思ってもらえている。なので、他のファンが何をしていようが、どう思われようが、「何もしない熱心なSMAPファン」という立場で年末まで、そしてこれからも居続けることしかできない(もちろん、その「熱心さ」を語ることもできるけど、恥ずかしいのでここではしない。というか、そういうアピールはしたくない。僕の言動を見て、僕の知り合いが「こいつホントSMAP好きだな」と思ってくれるだけで十分)。

 

ただ、もうSMAP5人のパフォーマンスが観れない、というのは悲しいを通り越して、絶望的な気分になる。その意味では、シングル全曲を集めたPV集が発売されるのは嬉しいけれども、それでもやっぱり、その都度その都度のSMAPが僕たちを魅せてくれるパフォーマンスを観られなくなるのは、つらい。

SMAPは憧れだったし、青春の塊だったし、目標だった。

 

まだ12月31日まで日があるけど、昨日スマスマが最終回を迎えて、実質的にSMAP最後のパフォーマンスだったので、ひとまず、僕の「SMAP愛」をこのような形で残しておきたい。

 

2016年12月27日